父とは何か

2017/11/06

 「子にとって母親はこの上なく確かであるが、父親は常に不確かである。」これは、ローマ法の格言の一つであり、今までに繰り返し言われてきました。近代の家族法においても、この論理が引き継がれています。つまり、母親は子の嫡出という事実によって明らかであるが、父親は「父性の推定」と呼ばれる言語的手続きにおいてしか、父親になることは出来ません。父親にとっては、その子が本当に自分の子なのか分からないのです。そもそも「父親である」ということは、どのようなことなのでしょうか。人が「父親になる」ことは、ありうるのでしょうか。現在、性別による社会的な格差は様々な場所に存在している状況です。例えば、男性と女性の賃金格差は未だに残っています。そのような状況において、女性が社会に出ることは大変なことです。他方では、女性の社会への進出の機会が増えていることにも見られるように価値観の変更が起こっていることも確かです。夫婦共働きの家庭が増えてきたことを見れば、就労に対する価値観が徐々に変化してきたことが分かります。男性について今も根強く言われるのは、「男は力持ちだ(強い)」とか「男は攻撃的だ」、「男は家族のために働くべきだ」などといった言説です。しかし男であることは、力の問題でもなければあらゆる生物学的な問題でもない、と私は考えます。男性の身体的・生物学的特徴をいくら見ても、その人が男であることの説明にはならないと私は思います。男であることの大きな特徴は、言語を打ち立てることにあるのではないでしょうか。なぜなら、男性はまさに言語を打ち立てることによってしか、父親になることが出来ないからです。男性は、子どもを産むことが出来ません。その点で、女性と比較すると男性には子を産む能力というものが欠落しています。男性は、生物学的には不利な立場にあるのです。男性は、自然に淘汰されていくのです。つまり男性は、生物学的には女性に対抗することが出来ません。男性が何よりも言語を必要とし、哲学を必要としてきたのは生き残るために当然のことなのです。女性の方の中には、力持ちの女性もいれば、家族のために外で働く女性もいます。そのことは、何ら不思議なことではありません。力持ちであることや外で働くことは、男性の特権ではありません。これから、男女間の社会的な格差の問題がこれまで以上に強く議論されていく中で、男性の立場というものは一体どこに残るのでしょうか。父親というものは、一体どのような存在として認識されるのでしょうか。男性は言語を確立することによってしか、父親には成りえません。男性が父親になる時期の断絶は、そこにしかありません。子どもは、男性のお腹から生まれてくるわけではなく、親としての生物学的・身体的な断絶は男性には存在しないのです。男性は女性にはなりえないし、女性は男性にはなりえません。このことは、男性が女性の代わりを果たすことが出来ないというだけでなく、男性が父親として生きていくことの難しさを表しています。もしも男性が父親になったとしても、その事実は確固としたものではなくとても脆く崩れやすいものです。なぜなら、父親であるためには「私は、この子の父親だ」「自分には、この子を育てる責任がある」といった言説に信を置くしかないからです。一旦、自分が父親であることを疑い始めたら、「自分は父親である」という言説はたちまち崩れ去ってしまいます。「父親は強いものである」というステレオタイプの言説が、現実とはいかにかけ離れたものであるかということが改めて感じられます。本当は、父親は弱いものなのです。しかし男性は、女性や母親にはなりえない。男性はある意味では仕方なく、父親になるしかない。この不条理な現実を受け入れることが、男性にとっての最大の困難であり、しかしそれを受け入れることが男性にとって父親になる唯一の道なのではないでしょうか。生きるということは、ある意味でとても不条理なことです。ある意味、毎日嫌なことばかりです。しかしその不条理な人生の中で、ほんのわずかでも希望が存在するのならば、生への道を選ぶことによってほんの少しの条理が生まれるのです。最初から、完璧に筋道が通った合理的な世界などというものは存在するのでしょうか。むしろ、世界は最初は誰にとっても不条理なのではないでしょうか。人は必ずしも、自ら生まれたいと思ってこの世界に生まれてきたわけではありません。本当はずっとお母さんのお腹の中にいたいと思っていたのかもしれません。しかし、この世界に生まれたからには生の方へと一歩ずつ歩んでいくことによって、一つずつ不条理が条理になっていく過程を見てみたいと思うのが人間の本性なのではないでしょうか。もしかしたら、この世界には絶望しかないかもしれない。一生良いことなんて無いかもしれない。しかし、お母さんのお腹の中にはもう戻れない。もしかしたら、この世界の中に真理が存在するかもしれない。そうだとしたら、この世界を見切るのはまだ早いのではないか。そう信じて、自分が生まれた世界がどのような世界であったとしても、人間は生きていこうとするのではないでしょうか。

 

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