相談できる人

2017/11/08

稲葉陽二著「ソーシャル・キャピタル入門」(中公新書,760円)は、おすすめの読みやすい本だ。そこには社会関係資本の欠如を物語る研究なども挙げられていて興味深い。米国では、1985年から2004年までの20年間に、「重要な事柄を相談する人がいない」とする比率が3倍になり、ネットワークのサイズが2/3になったという。国内でも同様だといわれる。私自身もそのカテゴリーに分類されるだろう。
職場などにおいて判断に迷った時に、相談できる人がいると力強い。私が会社員だった40代半ばまでは、誰かいたろうか?。 いなかったような気がするし、(私だけではないと思うが)孤軍奮闘だったと思う。
その後、直接的ではないが大学教師になることをサポートしてくれた人はいる。M先生とO先生だ。お2人とも、もうリタイアしていて、私と同様な会社員から大学教師へのキャリアを経験している。M先生には、この業界のまか不思議な最初のステップを教えてもらったし、非常勤講師としての道をつけてくれ、感謝に堪えない。O先生はその後専任の職を得た大学での同僚でもあった。そのため、その特殊環境の下での掟も教えてもらった。その後、今の大学に転出するにあたって、判断を迷った時に相談したのはM先生だった。M先生に肩を押してもらって、転出した。O先生にも感謝はしているのだが、比較的支配欲が強いため息苦しい面もあった。主従の関係でありたくない私にとって、だんだんと煙たい関係になってきた。転出して、その呪縛から逃れられてホッとした。
転出後のその大学は、とても良かったのだが、その後に変な方向に向かい出した気がした。前の2人ほど密ではなかったが、最も相談するに適すると思われたI先生に話をもちかけた。その先生は、そこを退職した後、他大学に行った。共通しているのは、社会性があって、リベラルな思想を持っている人たちだ。今はもう、私が相談をしようと思える人はいない。というか、そもそも相談事がなくなってきた。
私が当時相談したO,M,I先生の年代に私もさしかかったが、逆に重要な事柄を相談されることはあるか? それは全くない。息子達からもないから、当然といえば当然で、それは私の人格の欠如の証でもあるのだろう。幸いなことに、現在はそれで困ってはいないので、問題にはなっていないが。

 

*** イベリスのこの白とその縁取りの新鮮さは、私達を元気にしてくれる

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